自分が北海道出身であることを人に話すと、必ずと言っていいほど「いい場所だね」と返される。わたしはきまって「何もない場所」だと付け加える。
家の近くには、何もない、だだっ広い公園が多かった。そのうちの一つに「あやめ公園」がある。そこにはあやめ以外何もない。歩いてすぐにたどり着ける場所にあるのだが、小学校の遠足か何かで行った以降、立ち入った記憶はない。急に思い出して、朝から母と二人で中を歩いてみた。あやめ公園のすぐ隣にあった高校は廃校となり、その跡地に新しい道が出来ていた。その高校は習っていたそろばんの珠算検定が行われる場所で、小学生の頃から馴染みのある校舎だった。そんなことも母に言われて思い出した。
散歩をしながら、わたしは自然の中で生まれ育った人間なんだなっておもった。家を離れて8年目にもなると、その有難さを感じられるようにもなるものだ。そう口では言いながら、一生ここに住みたい、という気持ちとは違う。それにしても、とてもいい天気だった。空が高く感じるのがほんとうに不思議。


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午後からは、免許をとったばかりのわたしの運転の練習に付き合ってもらうという目的で両親をドライブに誘った。家族でちょっとお出かけというものが久しぶりにできた。子どもの頃は、きまって父が運転席、母が助手席、わたしが後部座席でぼうっとしていた。今回は、わたしが運転席、父が助手席、母が後部座席で出かけた。母は途中から眠っていた。わたしが運転して両親を連れてゆくことの新鮮さを感じつつ、父に運転について横からあれこれ言われるあたり、自分がまだ子どもでいていいような気持ちになった。
おとなになる、一人前になる、ということは、免許を取って、自分の車を持つようになったことで認められるようになるという感覚は、地方あるあるなのか。地元の同級生らは高校卒業後みんなすぐにおとなになったみたいだった。関西で大学生になったわたしの帰省の時には、同級生が家まで自分の車で迎えにきてくれて遊んだ。わたしはいつまでも子どもみたいだった。おとなになりかけのわたしの運転で、親戚の家へ挨拶周りに寄って、支笏湖まで向かった。


父と母が、ここに来たのは20年以上ぶりだと言っていた。わたしが来たのは初めてだったらしい。「あなたが生まれる前によく二人で来たのよ」とでも言ってくれればいいのに。それぞれ若い頃に違う相手と何回も来ていたという話を聞いた(どこまで本当か嘘かは知らない)。父と母にとっては、思いがけず20年前の記憶と再会できる機会になったかもしれない。ともかく水辺を歩くのはとても気持ちがよい。きてよかった。
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翌日は、母と二人で富良野まで行った。行きも帰りもわたしが運転した。峠を越え、なかなか遠かった分、さすがに運転には慣れてきた。母はハマっているSNSにあげる写真を撮ることに夢中になっていたので、一緒にいくつかiPhoneで撮ってみた。上からファーム富田のラベンダー畑⇒四季彩の丘⇒白金青い池⇒ニングルテラスの順。






連日いい天気だった。北海道の子だから肌が白いと言われ続けている(相関関係があるのかは疑問)わたしも、今回の帰省でけっこう焼けたような気がする。よく運転して、よく歩いた。
写真に残したのはこの程度だけれども、じっさい車の窓から見える景色が一番よかった。運転の練習にはとてもいい。自然に囲まれた生活をしているともっぱら退屈であるが、たまに訪れることでよさをかんじられる。帰れる田舎がある、というのはわるくないなという気持ちになった。帰宅後、わたしはとてもよく眠った。