あの日から三年が過ぎ去った。”あの日”というのは彼女が突然この世を去った日だ。久しぶりに会う約束をしていた、まさにその時間。その時の映像が、何かの映画を観ていたかのような展開が、感覚としてはまだ覚えている。いまだに、その時空間に自分がいたとは思えない。画面越しに目撃した瞬間の記憶だけが残っている。時間というものはある意味では冷たく、そして正しく進んでいってくれる。わたしが修士1年の12月29日の出来事だった。
はじめて彼女と会った時のことをいまでもよく覚えている。小学校3年生の時に一緒のクラスになって知った。わたしよりも背が高くて、流行のモノを沢山知っていて、とにかく明るい。その時から既に誰からも愛されるような人だった。そこから彼女とは、中学、高校と同じ道のりを辿り、わたしが学校生活を過ごす日常に欠かせない人だった。周りの友人らが道内の大学や専門学校に進学する中、ひとり道外に行くことにも、周りが就職する中ひとり大学院に進学することにも、いちばん背中を押して、何の取り繕いもなく、純粋に応援してくれたのが彼女だった。彼女は、わたしのことをすごい人だと信じ込んでいた。決して、そんなことはないのに。ともかく自分に自信がないことで損をしがちなわたしにとって、彼女の存在は偉大だった。前を向くこと、貪欲に生きること、そして、自分の気持ちに素直に生きることは、特に彼女から学んだことだと思う。他人の三倍速くらいのスピードで、人生を充実させることに徹していた人だった。その姿はとてもかっこよかったし、わたしの憧れであった。
何かをしていれば、それ以上に考えずに済む。大学院生という身分は、考える時間だけは充分に与えられている。だからこそ、当時そのことを考えることを避けずにはいられなかった。修士2年目は、修士論文を書かなくてはならないのだが、その年の記憶がほぼ抜け落ちている。どう毎日を過ごしていたのか、あまりよく覚えていない(わたしは1年間を計画的に動き、無駄を嫌うので、滅多にこういう時間の過ごし方をしない)。
気持ちが乗っていない修士論文を形式上は提出し、大学院を退けることになった。たまたま、仕事があってよかった。意識がもうろうとしたままに社会人一年目になり、仕事を覚えることでわたしの考え事は満たされた。労働をするというのは、まさに生活そのものだ。生活に没頭していると、自然と人は健康的になれるものだと実感した。精神的にも、かなり前を向けるようになった。
今年で社会人2年目となり、ようやっと視点を自分の範疇から外側に向けられるようになった。同時に、研究意欲もよみがえってきた。わたしの奥底に眠っていた熱量が、点火されてきた。何もできなかった修士の時間を取り戻すかのように、いちから勉強をはじめ、自分の眠っていた問題意識を呼び起こし、書くことを始めた。ひとまず動いていなくては、次に進むことができない。
ある方向に動いていれば、自然と手を貸してくれる人たちにも巡り合える。いつも、とても有難く思っている。人には本当に恵まれている。2020年の終わりには、必要な準備が整いつつあることを実感している。わたしが生かされているということは、わたし一人のためではない。おそらく、与えられた使命を遂行するための猶予にすぎないのだと思う。いつその時間に終止符が打たれるかはわからない。ひとつひとつ、いまできる「仕事」をこなしていくしかない。いつ頃からか、わたしのスマホの待ち受け画面は彼女と笑顔で写っている写真になった。以前より、現実と向き合えるようになったような気がする。もう彼女はいない。そして、わたしには時間が与えられている。彼女の代わりになんて大それたことは言わないけれども、せめてもの恥ずかしくない生き方をしたい。
2021年は「始動」の年にしたい。