7月6日

 毎日毎日そんなことがあるのか、という話を聞く。仕事でも調査でも。もちろんここに書けるようなことではないのだけれども。人が生きている日常というのものは、驚くことばかりの連続である。そして、人は案外すぐに忘れる。わたしは、話を聞かせてくれた人と一緒に驚く。もう少し若いときは、怒ったり悲しんだりした。でもいまは一緒に驚く。うまく言葉にできないけれども、驚くことから話がはじまる。いつからか、話を聞くときによく驚く人になった。

 光熱費の節約気分で研究室にいる時間が増えたが、単純に仕事的なものは外でやった方がいいものだ。近所の作業できるカフェにもよく行く。Wi-Fiの安定感がよい。賑わっているけれども本を読むのにちょうどいい場所。なにより、勉強している高校生や大学生、仕事している社会人ばかりなのもいい。そして、わたしが知らない世界の人たちが、でもどこかで知り合ってそうな人たちが隣り合わせになるのがいい。

 この前は、夜遅くに行ったら3人の女性たちが隣にきた。すごく楽しそう。作業中のわたしをみて、「昔はこういうところでよく勉強してたな。そういう学生時代もあったのよ。」と話をする。わたしもまたその場で居合わせた他者である。すぐに一人がトイレに行って帰ってきて、大笑いする。階段の段差と、室内の異常な寒さで二重のトラップがあるらしい。「次私が行く!」と順番にトイレに行って帰ってきて報告会がはじまる。トイレの話だけで15分は進んだ。それからお互いにお守りやプレゼントを渡しあっている。出産間際の方がいるようだった。それぞれの初出産の話になる。二人目、三人目。ずっとゲラゲラ笑いながら。「でもほらうちはね、不妊治療してたから」って。そこからちょっとだけ静かになる。笑い話にしているけど、温度が変わる。ゲラゲラ笑うなかに厚みをかんじる。「そういえばあの人が今こうしててね」、と。そうか3人は元同じ職場だったんだと。1時間もならないくらいの間に、人生が凝縮されている。めまぐるしく話が変わる。とにかく3人は大声で笑う。

 いかにも地元のラウンジみたいなところで働いていたことがあった。わたしが一番若くて、40代50代の女の子が多かった。シングルマザーばかりだった。「遥ちゃんはうちの子どもより若いからね」、と言われていた。それはあまりポジティブな意味合いではなかった。お客さんが来るまでの時間は、女同士の時間になる。「〇〇ちゃんって、生理止まったのいつ?」って誰かが話を振る。なんの文脈だったかはまったく思い出せない。女同士のひとりになりきれないわたしがそこにいた。その時はいつもより女同士の時間が盛りあがっていた気がする。夫の不倫で離婚した女の子が複数名、ズラを付けている女の子がいることを知った。

 生理のはじまりの話は、女同士の時間のはじまりだった。小学校高学年くらいから少しずつ広がっていく。そっからずっと長い付き合いをしなくてはならない。わたしが高校生の時に一番感心していたのは、東大京大に合格した女の子で、生理の期間は勉強が手につかないはずなのに、つまり男子と比べて確実に勉強できない時間があるのに、それでも同じ条件の試験を突破したことはほんとうにすごいとおもった。大事な試験日は、生理がズレたのだろうか、ということをすごく疑問におもっていた。そういえば、誰にも聞いたことなかった。いまは、世の中の女性たちは大事な仕事に生理が重なったときにどう対処しているのかがとても気になる。でもそれも誰かに聞いたことはない。どうしようもなく人生のたくさんの時間を振り回されているはずなのに、未だに正しい解決策がわからないし、一生わからない気もする。そして、生理が終わっても、終わりはこないようだ。

 女の人生はつづく。

 

 

コメントを残す